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Q.大和郡山が"金魚の街"なのはなぜ?

2026-06-19 公開

答え

江戸時代、藩士の副業として金魚養殖が始まったのが原点です。柳澤吉里が甲斐から大和郡山へ入部した1724年(享保9年)に始まったと伝えられ、その歴史は約300年。いまも全国有数の生産地で、2019年の年間生産量は約5,400万匹、全国シェアは約4割を占めました。1995年に始まった全国金魚すくい選手権大会も、街のシンボルになっています。

始まりは藩士の内職、約300年の歴史

大和郡山の金魚養殖は、1724年(享保9年)に柳澤吉里が甲斐の国(現在の山梨県)から大和郡山へ入部したときに始まったと伝えられています。歴史は約300年。幕末頃には藩士の副業として、明治維新後は職禄を失った藩士や農家の副業として盛んになりました。これが『藩士の内職に由来』と言われる根拠です。最後の郡山藩主・柳澤保申による惜しみない援助も、産業発展の大きな要因とされています。

1724年柳澤吉里が入部し養殖が始まったと伝わる年

約300年金魚養殖の歴史

なぜ大和郡山で根づいたのか

由来が藩士の副業だっただけでは、これほどの産地にはなりません。発展を支えたのは自然条件でした。大和郡山には水質・水利に恵まれた農業用の溜池が数多くあり、そこに発生する浮遊生物(ミジンコ類)が金魚の稚魚の餌に適していたのです。いまも特に新木町一帯には金魚池が広がり、その景観は奈良県の景観資産『江戸時代から続く郡山の金魚池』に選定されています。奈良県は同市を『全国有数の金魚生産地』と位置づけています。

溜池の浮遊生物稚魚の餌に適した自然条件

新木町一帯県の景観資産に選定された金魚池

生産規模:全国シェア約4割、でも転機も

2019年の年間生産量は約5,400万匹で、全国シェアは約4割を占めました。一方で産業は転機を迎えています。生産者は2020年時点で36戸と最盛期の約5分の1にとどまり、生産量もピークの1993年の約3分の1まで落ち込んでいます。生産された金魚は郡山金魚卸売センターの競売会にかけられ、良いものは1匹単位、その他は1キログラム単位で取引されます。

約5,400万匹2019年の年間生産量

約4割2019年の全国シェア

36戸金魚生産者(2020年時点・最盛期の約5分の1)

項目数値時点・出典
年間生産量約5,400万匹2019年
全国シェア約4割2019年
生産者数36戸2020年時点
生産量の水準ピーク(1993年)の約3分の12020年時点

街の祭典:全国金魚すくい選手権大会

『金魚の街』を象徴するのが、全国金魚すくい選手権大会です。第1回は1995年(平成7年)に大和郡山市中央公民館で開催され、いまも毎年8月第3日曜日の『金魚すくいの日』を中心に続いています。2025年8月24日の第30回大会には計1,362人が参加しました(個人戦一般の部519人、個人戦小・中学生の部234人、団体戦203チーム・609人)。約300年の養殖の歴史が、観光イベントとして街のいまに受け継がれています。

1995年全国金魚すくい選手権大会の第1回開催

1,362人第30回大会の参加者(2025年8月24日)

8月第3日曜『金魚すくいの日』

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