nara-data
読みもの一覧に戻る

Q.飛鳥の都って、どこにあった?——めまぐるしく動いた宮

2026-06-25 公開

答え

6〜7世紀、歴代の天皇は奈良盆地南部の飛鳥の地に次々と宮(みや=天皇の宮殿)を営みました。代替わりのたびに宮を移す「歴代遷宮」が特徴で、その中心は明日香村の飛鳥宮跡(旧称・伝飛鳥板蓋宮跡)に幾重にも重なっています。694年に持統天皇が藤原京へ、710年に元明天皇が平城京(奈良)へ遷り、約100年続いた飛鳥の宮都の時代は幕を閉じました。

代替わりのたびに動いた「歴代遷宮」

飛鳥時代(おおむね6世紀末の推古朝〜710年の平城遷都まで)、天皇の住まいであり政務の場でもあった宮は、ほぼ代替わりごとに新しく営まれました。これを「歴代遷宮(れきだいせんぐう)」と呼びます。推古天皇が592年に豊浦宮(とゆらのみや)で即位し、のちに小墾田宮(おはりだのみや)へ移ったのを皮切りに、約100年にわたって主要な宮が飛鳥の地に集中しました。国営飛鳥歴史公園の解説でも、推古天皇の豊浦宮即位から持統天皇の藤原京遷都までを「約100年」と整理しています。

主な宮と、営んだ天皇

『日本書紀』などに伝わる主な宮を、営んだとされる天皇とともに整理します。年代や比定地には学説差があり、ここでは伝承・通説に基づく目安として示します。飛鳥岡本宮・飛鳥板蓋宮・後飛鳥岡本宮・飛鳥浄御原宮は、いずれも現在の飛鳥宮跡(明日香村岡)の周辺に営まれたと考えられています。

宮の名称営んだとされる天皇推定地・備考
豊浦宮推古天皇(592年即位)明日香村豊浦と伝わる
小墾田宮推古天皇推古朝の宮の一つ
飛鳥岡本宮舒明天皇飛鳥宮跡の地
飛鳥板蓋宮皇極天皇乙巳の変(645年)の舞台とされる
後飛鳥岡本宮斉明天皇飛鳥宮跡の地
飛鳥浄御原宮天武・持統天皇飛鳥宮跡の地

幾重にも宮が重なる「飛鳥宮跡」

明日香村にある飛鳥宮跡は、複数の宮が同じ場所に重なる遺跡として国の史跡に指定されています。1972年(昭和47年)に「伝飛鳥板蓋宮跡」の名で指定され、その後の発掘調査で板蓋宮だけでなく岡本宮・飛鳥浄御原宮など複数の宮が重なっていることが判明したため、2016年に「飛鳥宮跡」へ名称が改められました。皇極天皇の飛鳥板蓋宮は、645年に中大兄皇子らが蘇我入鹿を討った乙巳(いっし)の変——大化改新の発端——の舞台とされる宮です。

1972年国史跡に指定(旧称・伝飛鳥板蓋宮跡)

2016年「飛鳥宮跡」へ名称変更

645年乙巳の変(大化改新の発端)

飛鳥から藤原京、そして平城京へ

飛鳥に集中した宮の時代は、本格的な都城(とじょう)の登場で大きく転換します。694年、持統天皇は飛鳥の宮から藤原京(現・橿原市〜明日香村一帯)へ遷都しました。藤原京は中国の都城にならい、碁盤目状の道路で街区を区画する条坊制を本格的に採り入れた、日本初の本格都城とされます。さらに710年、元明天皇が平城京(現・奈良市)へ遷都し、奈良時代が始まります。飛鳥・藤原から平城へと、宮が「点」から計画都市の「面」へ広がっていった流れがここに見えます。

できごと天皇
592年豊浦宮で即位(飛鳥の宮都の時代へ)推古天皇
645年乙巳の変(飛鳥板蓋宮)皇極天皇の代
694年藤原京へ遷都(日本初の本格都城)持統天皇
710年平城京へ遷都(奈良時代の始まり)元明天皇

世界遺産「飛鳥・藤原の宮都」で読み直す

2026年に登録が見込まれる世界遺産「飛鳥・藤原の宮都」は、まさにこの宮都群とその関連遺跡を束ねたものです。構成資産は19件で、宮殿・官衙跡や仏教寺院跡、墳墓などからなり、飛鳥宮跡や藤原宮跡もそこに含まれます。推進側の解説は、藤原宮跡を「律令制度に基づいた中央集権国家が日本で誕生したことを証明する」遺跡と位置づけています。飛鳥に点在した宮から藤原京の都城へ——この記事の流れは、世界遺産が語ろうとする「国家のかたちの誕生」とそのまま重なります。

19件「飛鳥・藤原の宮都」の構成資産

2026年世界遺産登録の見込み

この記事に関連するデータセット

関連する読みもの

出典・参考