Q.キトラ・高松塚の壁画って、何がそんなにすごい?
2026-06-25 公開
答え
明日香村のキトラ古墳と高松塚古墳は、7世紀末〜8世紀初頭の終末色の濃い「終末期古墳」で、どちらも国の特別史跡、壁画はいずれも国宝です。とくにキトラは四神(青龍・朱雀・白虎・玄武)がすべて揃って残る日本で唯一の例で、天井には本格的な天文図が描かれています。
そもそも、どんな古墳なの?
キトラ古墳・高松塚古墳はどちらも奈良県明日香村にある小さな円墳です。築造は藤原京期(694〜710年)、いわゆる7世紀末〜8世紀初頭の「終末期古墳」にあたります(文化庁「キトラ古墳の概要」/高松塚は奈良文化財研究所)。 両古墳に共通するのは、石室の内壁に大陸風の極彩色壁画が描かれている点。日本でこのタイプの壁画古墳が確認されているのは、この2例だけです。だからこそ「飛鳥・藤原の宮都」の物語を語るうえで欠かせない存在になっています。
指定も壁画も、最上級
両古墳とも国の「特別史跡」に指定されています。高松塚古墳は1973年4月23日、キトラ古墳は2000年(平成12年)11月24日の指定です(文化庁・奈良文化財研究所)。 壁画はいずれも「国宝」。高松塚古墳壁画は1974年4月17日に、キトラ古墳壁画は2019年(令和元年)に、それぞれ国宝に指定されました。史跡としても美術品としても最上級の評価を受けている、ということです。
特別史跡両古墳とも指定
国宝両古墳の壁画
1974年高松塚壁画 国宝指定
2019年キトラ壁画 国宝指定
二つの古墳、何がどう違う?
似ているようで、見どころは少しずつ違います。高松塚古墳は西壁の女子群像「飛鳥美人」で知られ、1972年の壁画発見が一大「飛鳥ブーム」を巻き起こしました。一方キトラ古墳は、四神がすべて揃って残ること、そして天井の天文図が最大の特徴です。 下の表で、指定・代表的な図像・発見年などを並べて整理しました。
| 項目 | 高松塚古墳 | キトラ古墳 |
|---|---|---|
| 所在地 | 明日香村 | 明日香村 |
| 築造時期 | 藤原京期(7世紀末〜8世紀初頭) | 藤原京期(7世紀末〜8世紀初頭) |
| 史跡指定 | 特別史跡(1973年) | 特別史跡(2000年) |
| 壁画 国宝指定 | 1974年 | 2019年 |
| 壁画発見 | 1972年 | 1983年 |
| 代表的な図像 | 西壁の女子群像「飛鳥美人」 | 四神・天文図・十二支 |
| 四神の現存 | 南壁の朱雀は消失(鎌倉期の盗掘) | 四神すべてが現存(国内唯一) |
キトラの「四神フルセット」と天文図
キトラ古墳の石室には、方位に合わせて東に青龍、南に朱雀、西に白虎、北に玄武の四神が描かれています。高松塚では南壁の朱雀が鎌倉時代の盗掘で失われたため、四神がすべて揃って残るのは日本でキトラ古墳のみです(文化庁/奈良文化財研究所)。 さらに天井には、赤道や黄道を示す円を備えた本格的な天文図が描かれ、東に金箔の太陽、西に銀箔の月、四神の下には人身獣首の十二支像も配されています。この天文図は本格的な中国式星図として現存最古級(文化庁は「東アジア最古の現存例」と説明)とされ、東アジアの天文史の上でも極めて貴重です。
4神すべてキトラに現存する四神(国内唯一)
天文図天井の本格的な中国式星図
12支人身獣首の十二支像
壁画は今、どこで見られる?
高松塚古墳の壁画は、発見後にカビなどの劣化が深刻化し、石室をいったん解体して取り出し、令和元年度まで修理が続けられました。現在は国営飛鳥歴史公園内の文化庁の保存修理施設で保存・管理され、年に数回の特別公開があります。キトラ古墳の壁画も同様に取り外され、「四神の館」(キトラ古墳壁画体験館)の保存管理施設で公開されています。 奈良県内の国宝そのものに関心があれば、当サイトの国宝特集(/cultural-properties)も市町村別に一覧できます。古墳めぐりとあわせて、飛鳥・藤原の世界遺産の文脈で楽しんでみてください。